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最善の医療と患者の自律性について


在宅医療で看取りの多かった時期、終末期医療やターミナルケアについて調べていて次のような記事を見ました。

臨床的そして倫理的判断、根本的ジレンマ(板ばさみの状況)

もとはNeurologyという医学雑誌の記事で、著者は医学教育を終え16年後の時期、重篤な病態にも対処できると自信にあふれ、仕事に当たっていました。

そんな時に、80歳の女性、Gさんが入院してきました。彼女は転倒により頸椎の一部を骨折し、手術を受けた後、呼吸の障害をともなう肺炎を発症しました。気管内挿管が行われ、さらに両上肢の深部静脈血栓症を合併しました。

上記のように、合併した病気は多く、状態は重篤でしたが、神経系の損傷はなく、全て現代の医療で治療可能な範囲でした。つまり、病気の状態は重くても必要な治療さえ行えば、見通しは明るかったのです。

ところがGさんは医学的な見通しとは全く異なる判断をしました。彼女は親戚の負担になることや今後の機能低下を嫌い、人工呼吸をはじめとする全部の治療を中止することを求めたのです。

彼女は30年間看護師として働いた経験があり、自分の病態について十分理解していました。この難局を乗り越えれば、大きな障害を残さずに当面は以前と大差のない生活が送れることも知っていました。しかし、それでも彼女の気持ちは変わりませんでした。

精神科チームは彼女がうつからそのようなことを主張しているのではないと判断しました。さらに倫理チームの協議も行われましたが、血縁者の同意のもと本人の自律性が尊重されることになりました。つまり、彼女の意志が変わらないことが確認され、人工呼吸が中止された8時間後、彼女は希望通り亡くなったのです。

著者は医者として最善をつくすことと、患者の自律性の尊重というテーマの間で引き裂かれます。

もし、常に患者の選択に従うならば、医学的ケアは単なるサービス産業に堕するだろうとも言います。自分はただの技術提供業者ではなく、患者の治療に最善を尽くすべき医者であるとも……。

いつも正しいやり方というのは存在しないのかもしれません。著者はこうした体験をもとに卒業後にも倫理や医者として取り組みに関するトレーニングが必要であると主張しています。

私は、自殺と自律性の尊重との違い等、真剣に考えれば考えるほど判断に困ることが多いです。結局、答えは出ませんが、人間として、ともに考える姿勢だけは大切にしたいと思います。

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