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オープンダイアローグって何だろう?


日本精神神経学会に来ています。

今日最も印象に残ったのは森川すいめい先生(翠会みどりの杜クリニック)のオープンダイアローグに関する話でした。

話の内容もとても興味深かったのですが、何よりも先生のトークが最終的にどこに落ち着くのか、逍遥の具合がスリリングで、かつそれが心地よいという不思議な体験をしました。

通常、どこに行くのか、結局何が言いたいのか着地点が見えない説明や会話というのは少し不安で、しんどいものですが、先生の説明はとても安心感がありました。それは、きっと目標は見えていないわけではない、意味のある回り道を一緒にしている感覚だったからのような気がします。

だから、「あ、手探りで言葉を探しておられる……。」と感じ、「これはオープンダイアローグを取り巻く日本の状況を象徴しているな」とも思ったのですが、それは決してどこに向かって良いか迷っているわけではなく、少なくとも本質的には目標をしっかり見据えながら、でも敢えて回り道をして周囲の認識のペースも見ながら、じわじわと浸透するような説明を行っている、そういう姿勢だったように思われました。

「本人のいないところでは何も決めない」

「孤独(閉じた環境)が病を作る」

本来、考えれば当たり前のことを、ずっと見ないようにしてきたような気がします。

誰も自分にとって大切なことを、他の誰かに決められたくない。自分のことが、他の誰かどうしで話し合われて、決定から疎外される孤独を味わいたくない。

そういう人間であれば、当然感じることを、「治療的な近道」を通ることが本人のためであるという認識を盾に、ずっと保留し続けてきました。

でも、それが今、近道ではなかったかもしれないと、証明されつつあります(あるいは、別の国ではすでに既知の事実なのかもしれません)。

私は、とても素晴らしいことであると感じながら、少し怖いのです。

自分が精神障害にどのように対峙するのか、それは人間をどのようにとらえるのか、という問いと私の中では不可分です。毎日の仕事上の要求に対しては、現時点で自分に可能な「できるだけ良いもの」で応えながら、結局どういう結論に達するのか、少なくとも目を逸らさないようにしたいと思います。

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